レビー小体認知症の母親介護日記

レビー小体認知症になった母親介護の日記

線香の匂い

2021年10月1日にケアマネジャーから、一人暮らしして仕事していたとき突然電話がかかってきました。

その時、実家で親が警察呼ばれたみたいですが知っていますか?ということでした。聞いてみると、認知症の母が騒いで、近所の人に警察を呼ばれたようです。(あとで、父が原因だったかもとは知らず…)

その話を聞いて、実家に戻ろう、と思いました。

そこから、仕事が立て込んでしまい、中々実家に戻ることが実行できず、一人暮らしの家の更新が3月までだったので、それを締め切りにして引っ越すようにしました。

 

2022年3月25日引越し日で、3月頭くらいから、僕が咳やヒューヒューと空気がうまく吸い込めず、オンライン会議でもあいつを笑わせると大変と言われていて、その前の日ぐらいも息がうまく出来ず、土日でもやっている病院に行ったりしていました。

そして、引越し日の途中にもう息が吸えなくなり、引越し業者に救急車を呼んでもらい、一週間入院することになりました。その時、空気飽和度は80ぐらいだったそうです(この歳で気管支喘息になりました)

 

4月に退院し、そのまま実家に帰り、引っ越しが途中だったため、荷物が全部引っ越し業者のところにあり、服もなにもないなか、仕事だけはできるようにして、実家で母を介護するようになりました。

 

毎日、訪問介護の人が来たり、母がわめく時間帯を体感しながら、トイレや口腔ケアなど教わりながら、日々介護するようになりました。

それでも不安だったので、ペットカメラを父と母がいる居間に設置して、いつでもスマホから母の様子を見れるようにしました。

 

そうすると、父が母を叩いていることがわかりました。その時はびっくりして、兄やケアマネジャーなどに相談したりしてました。証拠の動画もたくさんあります…

 

それでもなんとか、母が笑ったり、動けない日もあったりしながら、毎日母がいる生活をしていました。(8月には僕がコロナにかかったりしましたが…)

 

そんな生活が母もまだ74歳で意識しっかりしているときはあるので、まだまだ5〜6年一緒に生活するんだろうな〜と思っていました。その間にには叩く父を叱るか警察に相談しようと考えてました。

 

2022年11月29日、20時ごろ母が急に叫んでどうしたの?と聞くと苦しいと言っていたので、いつもと違うなと思って、救急車を呼ぶか迷ってました。お腹も痛いと言っていたので。

翌日、訪問看護師さんがくるから相談しよう、と思い、父と母が寝室に行き寝始めたときも、母がずっと喚いていて、そのときも父がうるさいと母を叩いたりしていたのを隣の部屋で聞こえていました。

 

深夜3時ごろ静かになったので、自分も寝たのですが、その日はなぜかあまり寝れず、11月30日の8時に父に「母が起きないんだけど」と呼ばれて、母を見ると顔色が悪く(黄疸のような)、手足も硬直して動かず、呼んでも胸に耳を当てても心音が聞こえず、父に「早く救急車を呼んで!」と叫んで、僕は心臓マッサージをしました。

 

救急車が8時30分ごろ来て、見てもらったときには救命が出来ないので、警察に引き渡すと言われ、9時ごろに刑事さんたちが来て、現場検証とその時の様子を父が聞かれていました。

その時、母を運ぶので最後の挨拶をと言われて、僕は何も出来なかったと声を出して泣きました。

 

そして、遺体を警察に渡し、12月1日の午前に刑事さんが来て死因を聞き、葬儀屋さんに遺体を引き渡す段取りをして、12月6日葬儀をして、自宅に母が遺骨で戻ってきました。

 

母と毎日過ごせたのが2022年4月から2022年11月なので8ヶ月で、本当に短い介護生活でした。

色々と悔いが残る生活でした…。

 

居間から臭う、線香の匂いにまだ慣れません…