レビー小体認知症の母親介護日記

レビー小体認知症になった母親介護の日記

ふと思い出す

母が亡くなって半年くらいまでは、モヤモヤした気持ちで過ごしていました。

母の写真や介護、亡くなったニュースを見ると関連付けて悲しくなることが多かったです。昔は医療漫画が好きだったのですが、読めなくなってました。

 

現在、1年過ぎになりますが、悲しい気持ちになることはありますが、前よりは敏感になることはなくなりました。

 

やはり、時間が解決するものであるなとは思いつつ、最近もお母さんのことを思い出します。

介護のことも思い出しますが、ちょっとした会話がやはり思い出深く、それを思い出しては微妙な気持ちになります。

叔父が亡くなる

お母さんの葬儀のときから、叔父さんがげっそりしていて食べれないと言われていたのですが、12月に入ってから、食べれなくなり入院しているというのを聞いていました。

 

そこから、2023年12月29日18時に亡くなったと連絡がありました…

 

2年連続で人の死を目の当たりにして、本当にしんどいし、いちばんしんどいのは、

叔母さんだろうなと思っています。

 

叔母さんはお母さんの妹で、今回は夫が亡くなり、叔母さんの姉妹は自分ひとりだと言っていたのもあり…

 

会えるときに会いに行かないとなと、改めて思いました。

一周忌

長かったようで短かったように感じられた1年間でした。

兄夫婦は、お父さんも突然亡くなるかもしれないと思い、この1年、毎月実家に来てくれるようになりました。

 

お父さんは、最初の頃は黙った感じでしたが、今はテレビをみて笑うようになってました。

お父さんに関しては、お母さんが認知症を発症してからずっと付き添っていて、大変だったかなと思うので、今はゆっくりしてもらおうと思って接しています。

ただ、外出をしないので体力やボケが心配ではあります。

 

僕に関しては、最初の方は喪失感があり、お母さんの写真や動画を見るたびに、介護のことなどを思い出したり、介護中の後悔などで苦しんでました。

ただ、最近は趣味の方で気を紛らわしたりして、だいぶ「母の死」を受け入れられてきたかなと思います。

 

それでも、毎月30日は思うことはあります…。

 

今日は静かに過ごそうと思います。

 

 

レビー小体型認知症だったので、お母さん最後歩けなくて苦労していたので(足を引津って歩こうとしたり)、1年経ったので天国では歩いているといいな、と今でも思ってます

もうすぐ一周忌

お母さんの月命日(30日)になると落ち込み、介護中にあったことを色々思い出しています。

 

そこから、なにか文章にまとめようとすると、言葉にはまとまらない感情で
「ただただ生きていてほしかった」
ということになっています…

 

思い出すのはだいたい下記の内容です

  • トイレに連れて行く
  • 手の指が固まっていることがあるのでよく手を握ったら「女の子みたいだね」と言われたこと
    • 手を握ると子供のようだと言いたかったのだと思います
  • 頑張って箸を使って食事している様子
    • ボロボロ落としていたのをお父さんが拾って食べさせてました
  • 毎日、お母さんの年齢を聞いたり、お昼何を食べたか聞いたりしていたこと(短期記憶を使ってもらうように)
  • 亡くなる前日に苦しんだ発作があってそれの対応をちゃんとできなかった悔しさ

認知症後期、結構無表情になってしまったので、ふいに笑った写真が残せたのは良かったかなと思ってます。

 

亡くなった直後の母の顔色は、トラウマで思い出さないようにしており、これは1年経とうとしても乗り越えられません…

老老介護を考える

 

ヤフーニュースで「認知症の妻を暴行」というの見て色々思うことがありました。

 

news.yahoo.co.jp

 

容疑者の夫は71歳、被害者は68歳ということで、老老介護で介護疲れからの犯行だったのかなと思います。

 

僕の母も認知症で、父が母に暴力をしていたのを何度も見て、警察に相談しようと何度も思いました。

実際に、ケアマネジャー経由で地域の相談所には相談しました。

 

父も、母を毎日つきっきりで、起きてから寝かすまで対応していて、トイレやお風呂、食事、薬を飲ますのも毎日やっていたので、母がわめいたとき(認知症によるもの)に暴力をしていました。(過去記事でも書きましたが)

 

認知症は治るものではないので、父はどう接して良いのかわからず、悩んでいたのかと思います。

ただ、母も認知症になりたくてなっていないので、ただ暴力されていたのは、本当に僕としては可哀想でしかたありませんでした…。

 

介護疲れによる暴力は、ケアマネジャーや訪問介護の人からは、結局は施設に入ってもらい距離を取るしかない、というものでした。

 

ここで問題になるのは、施設はかなりお金がかかる、というところで、施設も要介護認定を受けたとしても、それでもお金がかかります。

それもあって、この介護疲れによる暴力問題はなくならないのだと思います。

 

認知症になった家族につくす人生を送る覚悟がない場合は、

役所などどこかに相談する、ということを、家族としてまずは行動する、ということをもっと知ってほしいと思ってます。

(追い詰められ暴力に、はしってしまう恐れがあるため)

 

なんとかなる、ということはないので、周りを巻き込んで対応しないとお互いが損をすることになるので、高齢化社会なのでそのような地域社会になることを切に願います。

お盆の夢

今朝お母さんの夢で起きた
うっすら涙も出てた

なんで死んでしまったんだろう
なんでもっと早く介護してあげられなかったんだろう
お風呂もつかる介助しなかったんだろう
沢山の後悔の念

ただ認知症の中
色々僕のことを心配してくれて嬉しかった
(大半は話が通じなかったりしたので)

お母さん今までありがとう
天国では今は歩けるようになったかな

これ書いてたら涙が止まらなくなった…

じゃがりこの思い出

この前、姪っ子が実家に来たとき「じゃがりこないの?」と聞かれたとき、
「あれは、お母さんが食べる用だったから…」
ということで、姪っ子も察して質問はなくなりました。

 

じゃがりこは、手が震える母でもつまめて食べれるお菓子だったので、
お母さんも「じゃがりこ頂戴」と言ってきて、食べてました。

 

お母さんが亡くなった以降は、じゃがりこは買わなくなったのですが
最近暑くなり塩気が欲しくなったので、じゃがりこを買ってみたのですが
やはり、お母さんを思い出しますね。

 

お母さん、総入れ歯だったけど、「ポリポリ」と良い音をたてて
食べていたので、微笑ましい思い出でした。