レビー小体認知症の母親介護日記

レビー小体認知症になった母親介護の日記

生死を変えるバタフライエフェクト

母が亡くなる前日、お腹が痛いとずっと叫んでいて、その時僕は飛んで行って「大丈夫?トイレ行く?」と言って、トイレに連れて行ったりしました。

認知症ということもあり、見えないものが見えたりする発作と思ったりもしました

 

ただ、それでも痛いと言っていたのですが、寝る時間になり、寝る前の薬を飲ませたりして、父と母は寝室に行きました。

 

その数時間後には、母は息を引き取り、ずっと後悔をしています。

 

痛いと言っていたときに、素人判断でただの腹痛なのかな?と思って何もしなかったことを。

あのとき、救急車を呼んでいたらまた違ったのかな?とか未だに思っています。そうしたらまだ一緒に暮らせたのかなと、その時の判断で母の生死が変わっていたのかなと…。(バタフライエフェクト現象)

ja.wikipedia.org

 

母が亡くなる一週間前から、母は「薬ばかり飲ませて」や「歯が痛い」と言っていて、もしかしたら、母としては体の不調を訴えていたのかなと悔やんでます。

 

また、母が亡くなり、救急車を呼んだけどすでに遅く、自宅での死だと警察管轄になり、警察が遺体解剖するとき、体の中も死亡解剖するか聞かれ、父がこれ以上体に傷をつけたくない、という意向を伝え、外傷だけの死亡検案となりました。

背中から脊髄の液体を取得して、脳出血だけは確認してもらい、脳出血での死因ではないことだけは教えてもらいました。

 

ただ、これが良くなかったなと思っており、死因ははっきり知ったほうが、その後の後悔が少なくなったかもしれないと今も思ってます。

 

たまに、グーグルで「歯の痛み」「腹痛」と検索すると「心筋梗塞」というのが出て、母は高血圧もあったので、心筋梗塞だったのかな〜とか今もモヤモヤしています。

 

よく漫画やドラマで、死亡解剖のときに「これ以上体に傷をつけないで」というフレーズがありますが、今これを読んだ人に言えるのは、ちゃんと解剖してもらって死因を知ったほうが、残された家族にとっては絶対良いと言えます。

 

余談:「バタフライエフェクト」は好きな映画の「バタフライエフェクト」から記載しました

eiga.com

一人になると想うこと

やはり、まだ、水曜日になると、母が亡くなった曜日ということで、死亡時間帯に起きてしまいます。

 

ちょこちょこと思い出すのは、お母さんの手の指先が固まってきてしまったので(パーキンソン症状で)、手を握ってほぐすようにしていたのですが、その時お母さんが笑いながら

「お前は何歳になったんだい?」

「手を握って女の子みたいだね」

と言っていたのを思い出します。

手を握る

手を無邪気に握ってくるから、お母さんとしては、いくつになっても子供みたいなことしているね、という意味で歳を聞いてきたり、女の子みたいと言ってきたんだなと思ってます。

近所の公園と母への想い

近所の公園


近所の公園に行くと思い出すことがあります。

(近所の公園へは、駅と反対方向なので、意図がない限りは行かないのですが、先日たまたま行きました)

 

お母さんがリハビリで歩く練習するときに

「調子が良いと公園に車椅子で行こうか!」

と言う話になるけど、去年(2022年)は調子が良いときがなく、暖かい日に公園に行ってお母さんと一緒の写真を撮りたかったな、と…。

 

去年は、お母さんは家から階段降りて公園に行くまでもが難しく、足の調子も悪く、幻視やせん妄で「外に出る」ということ自体拒否されたりしてました。

 

認知症が、というわけではないのですが、日光に当たることはセロトニンが出るらしいということもあり、また気分転換にもなるので外に出ることは良いかなと思っていたけど、それが叶わず…

 

去年はリハビリ施設に行くことさえ難しく、リハビリ施設の翌日突然死しました…

死と向き合う難しさ

母が亡くなってから、5ヶ月ほど経ちました。

毎週亡くなった水曜日はよく眠れていません。

今も介護していたとき、よくトイレに連れて行ったのですが、トイレのニオイを感じると、母を思い出します。

日々の喪失感があるため、仕事や趣味で忙しくすることで、その時忘れようとしてましたが、5ヶ月でちょっと心身ともに悪くしました…

 

そのため、今週は仕事はお休みしてゆっくりすることで、体の方は休めた感じがします。

ただ、メンタル面では仕事を休んだことの不安感もあり、良い休み方が出てませんでした。

 

他の境遇の人はどのように死と向き合っているのか、知りたいところです。

仏壇やお供え物について思うこと

批判はされるとは思うけど、お通夜や葬儀、仏壇とかお供え物とかは、故人のためではなく、故人に対して想い、忘れないという心を保つため、親族や周りに対してのものなのかなと思いました。


お通夜や葬式を行うことで、お別れすることで、個人に対して亡くなったことに対して一区切りをすることなんだなと。


そうしないと、故人の周りがずっと想いを残してしまうので。


なので、葬式も写真整理などやれることによって、僕は少し悲しみから抜け出せたのかなと思ってます。


もちろん、母のことを今でも忘れてはいないです。

母が亡くなって49日

母が亡くなって49日が経ちました。

やはり、今日もあまり眠れませんでした。

起きてすぐ、母が亡くなったと分かった時間にお線香をあげました。

亡くなってから、ボーッとすると母との会話を思い出したりします。

 

母が亡くなった一週間は、居間や寝室にまだ母がいると思ってましたが、今は多少は慣れてきました。ただ、後悔とまだいるのではという思いがあります。

 

父が訪問介護さんと喧嘩したりして、父はもう面倒だなと思ってます。

訪問介護さんが線香をあげにこないということで、いちゃもんをつけた。調べると、訪問介護の会社によっては全利用者へ対応は難しいため、亡くなったあとそういうことをさせてないところもあるようなので、僕としては連絡してもっただけでも嬉しかったです)

 

前進するために、地域の介護者の方との集まりに参加しようと考えています。

 

明日、母の49日法要と母が亡くなっても揉め事が…

本当は、水曜、母の49日なのですが、僕や兄、親戚は仕事があり、平日は集まれないため、日曜に行うことになりました。

 

あと、一つ最近問題になっているのは、訪問看護師さんと父が揉めていて、母が亡くなって40日経っても線香を上げにこない、サービスの領収書対応をしてほしい、という電話で揉めていました。

訪問介護は、ボランティアではなくあくまで仕事でその延長で色々とサポートしてくれたので、僕はとても感謝しています。

ただ、父としては長年介護してくれたのに、線香を上げにきたい、という言葉がほしかったため、領収書の話が先に来て怒って対応しないとか言い始めてます…。

 

訪問介護の人と母は仲良しで、サービス終了して帰るとき手を降ったりしてました。体が動かせなかったときも一生懸命、車椅子運んだりして、母を外に連れ出してくれてました。

そんな人を線香のタイミング・仕事の領収書の話で揉めるとは僕にとっては許せない出来事でした。

亡くなったあとも色々とあって疲れています…