レビー小体認知症の母親介護日記

レビー小体認知症になった母親介護の日記

それでも生きていて欲しかった

母が亡くなったあと、訪問看護の人に言われた

「コロナ禍で救急車を呼んで、一時的に助かっても病院で会えなくなったより、家族がいる中で亡くなったほうが、母は幸せだったかもね」

という言葉は確かにそうだったかもしれないとは思いつつ、

「それでも(病院で会えなくても)生きていて欲しかった」

と今でも思っています。

 

憎むべきはコロナ禍で、自分も入院したときは面会は出来ず、兄からの贈り物(救急車で運ばれてそのまま入院したので服が無かったため)も直接渡してもらえませんでした。

 

母は「要介護5」で特別養護老人ホームに、優先的に入れたのですが、母が嫌がって自宅で介護していたのですが、それに関してもコロナ禍では、一回施設に入ってしまうと会えなかったりしてしまったので、自宅で家族に会えたりしていたのは、母にとっては良かったのかもしれません。

 

ただ、母の突然死に関しては、もしかしたら24時間対応してくれる施設では、直前の異変に気づいてくれて、母が亡くならなかったのかもしれないなとおも思ってます…。

 

母が亡くなる前日まで、毎日他愛のない話が出来ていたので、難しいですね。

施設だと、毎日は会えてはいなかったと思うので。

kaigo.homes.co.jp